2011/08/26

おじいちゃんの春

今日は家に帰ってきたらアンクルがグランパに晩御飯の用意を持ってきてた。相変わらず本当に親孝行の息子さんで素敵だと思う。
アンクルはいつも私に台湾の歴史の話とか政治の話とかをしてくれるが今日はグランパの話をしてくれた。(結局は台湾のことだけど。自分の国を大好きでうらやましい。)グランパは中国語が下手だ。家族や協会の人たちとのコミュニケーションには中国語をずーっと使ってきたはずなのに。なぜか。
中国は昔、漢だったとき、漢の言葉があった。でもモンゴルが中国を制覇した時、漢語を喋る人は南へ逃げ、台湾へ逃げ、シナにはモンゴルの言葉と、漢語の漢字だけが残った。だから当時の漢語が基になっている台湾語は中国語とはかなり異なりより難しく、例えば中国語ではピンインが4パターンだが台湾語では8パターン、同じ音に8段階の違いがある。(考えられへん)
そんな台湾語はずっと口承で伝わっていた。グランパのお父さんはかなり学のある方だったらしく、グランパをその台湾語で勉強をする学校へ入れた。その学校を卒業後、グランパは日本へ留学し、鉄工所で働きながら日本での勉強を終わらせた。だからグランパの青春は、台湾語で過ごした台湾、そして日本語で過ごした日本にある。しかし、日本での勉強を終わらせて台湾へ帰ってきたとき、グランパを待っていたのは中国に統治されて知識人は殺されるか牢屋に入れられるかというそんな時代になっていた。台湾語も禁止されていたので中国語を習うしかなかった。グランパも牢屋に1年くらい拘留されたらしい。グランパが中国を本当に嫌いなのはこれが原因だとも。日本も台湾を占領したはずなのに、グランパが日本人大好きで親友も日本人で、私にもこんなにこんなに良くしてくれるのは日本留学時代にグランパに優しくしてくれた日本人のおかげだろう。感謝しなければ。
話が紆余曲折するのは私の悪い癖だけど、話を戻して、だからすこし認知症の入ったグランパは青春にもどっているのだとアンクルは言った。中国語はうまく話せないけど日本語はぺらぺらと喋る。私がいたら周りに何人台湾人のご家族がいようと、日本語を喋る。

アンクルは私に、『You bring spring for him』と言ってくれた。本当に嬉しかった。私がいるだけで、話を聞いたりおしゃべりするだけでもグランパが喜んでくれるなら本当にすてきで光栄なことで幸せだと思う。

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